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最近、弟がどこで覚えてきたのか「アイラブミー!」と騒いでいます。好きな子に告白して振られても「振られた自分が大好きさ!」とか「彼女がいなくても俺は俺が大好きだからいいんだ」と言って、ハタで見てるとかなり笑えるのですが、なかなかラブの真髄をついていると思います。

自分が光り輝く愛そのものであることを思い出すきっかけなども、この「アイラブミー!」にあるかと思います。

人は、どうしても外に何かを求めてしまいます。私はずっと、外に愛を求めていました。多分はじめは両親からの愛を求め、大人になっていくにつれ対象は恋人からの愛に変ったと思いますが、常に求め続けていました。

誤解のないように書き添えておきますが、両親も恋人も、しっかり私のことを愛してくれていたと思います。けれど、どんなに愛されても、何故か私は心が満たされないのです。普段はそんな事あまり意識していないのですが、ふと立ち止まった時とかに、何か違うような、愛に餓えているような飢餓感や空虚感がありました。

と言っても、こういうのって、何をどうして良いのか分からないんですよね。「愛なんて、こんなもん」と自分に言い聞かせてみたり、「いや、こうじゃない筈だ」と思ってみたり。満たされる愛を求めて彷徨い続けるトラベラーだったように思えます。

私の場合は、この愛の餓えによる歪みが、喘息という形でよく現れていました。始めに発作が出たのは14歳の時だったかな。風邪から喘息へと発展したように記憶していますが、この時は40度の熱が1ヶ月近く下がらず大変でした。

喘息の発作は咳が止まらないのもあるのですが、呼吸困難のように息が吸えなくなるのもあって、これは本当に苦しいです。なんで突然喘息になったんだろうと考えました。

当時は猫を飼っていたので、猫の毛がいけないのかな?とか、畳の上にカーペットを敷いているのがいけないのかな?とか。けれど喘息になってすぐ、私は療養の為に家を出て祖父の家で暮らす事になったので、この原因らしきものは全て取り除かれました。けれど治りませんでした。

今だから分かる喘息になった原因は、多分3つです。

・自分の好きなように生きたい
・誰にも邪魔されない静かなところにいたい
・愛されたい

え?これが原因なの?と思われるかもしれません。一般的に考えられる喘息の原因もあったのでしょうが、この当時の切実な望みを叶えるには、喘息になってしまうのが一番てっとりばやかったみたいです。

だって喘息になれば、怒られる事なく学校を休めて好きな事ができたし(学校に興味がなく家でギターばかり弾いていたので怒られ続けていた登校拒否児でした)、静かなところでゆっくりできたし(上記の理由で家族がうるさかったので早く家を出たかった)、心配してもらえるし(=愛されている実感)、喘息になった事で、一気に望みが叶ってしまったのです。

その後も喘息は、私の望みを叶える為に、何度も何度も現れました。と言っても、まさか自分の気持ちと喘息の発作が繋がっているとは思ってもいませんでしたから、これは持病だから仕方ないと諦め受け入れてました。喘息の発作を一発で鎮めてしまう、強力な吸入するタイプの薬があるのですが、いつもそれを持ち歩いていました。発作を出しては薬で抑え、「そんなこと繰り返してたら心臓止まるよ」なんて、よく心配されたものでした。

10年以上も苦しめられた喘息ですが、去年あたりから発作が出なくなり「あれ?そういえば喘息治ったのかな?」なんて考えているうちに、そういえば愛に餓えているような満たされない感じも、なくなってきていることに気付きました。それで、これと喘息の関連性に気付き、私は自分からも人からも愛されたくて喘息になっていたという事が分かりました。

そして今年の夏に、ダメ押しがやってきました。地の底から湧いてくるような、拭い去れない不安に襲われる日が続いたのです。不安を感じる要素は幾つかあったのですが、それ以外にも、もう何もかも全てに対して不安になってしまって、いてもたってもいられないのです。

これは不安神経症というのでしょうか?突然意味のない不安を感じて、そうすると落ち着かなくなってソワソワし、動悸がしたり、手が震えたりもします。何の根拠もないのに人を疑ったりもします。私一体どうしちゃったの?と思いつつ、やり過ごしていたのですが、遂に喘息の発作が登場しました。寝ていたところを突然「息が吸えない!」と発作に叩き起こされ、その後は呼吸困難で苦しく横になることもできません。こんなハードなの久しぶりだなぁと思いつつ、この時ようやく気付きました。「私、今、自分を愛していないんだ」って・・・。

例の薬を使って発作を抑えてしまえば、すぐに体は楽になりますが、それでは何の解決にもなりません。私の喘息の原因は、薬が効かない心にあります。だから今回はヒーリングで根本から改善してみようと思い、自分にヒーリングをしました。

ゆっくりと心を紐解くうちに、ここ数日の不安は全て、自分を愛していないことから発生していることに気付きました。不安材料のひとつに、今月は家賃が払えないかもしれないというのがあったのですが、冷静に考えたら、お金が足りないのなら収入を増やすか、貯金をちょっと崩して家賃に充当すればいいだけの話でした。金額的には1万とか、ちょっと足りなかっただけなのです。だけど自分を愛していなかったので、お金を稼げる自分が信じられなかったり、自分の築いた貯金が崩壊するように感じて、無性に不安になっていたみたいです。

また喘息については、自分からも人からも愛されたくて発作を起こしていると思っていたのですが、これ、ちょっと違ったんですね。正確には、自分から愛されたくて、発作を引き起こしていたようです。何でそれが分かったのかというと、愛に襲われたのです。

襲われるという表現はオカシイかもしれませんが、自分が愛そのものであることを感じ、同時にその喜びを感じました。全身がゾクゾクするとか、電流が走るとか、そういった感じでした。そして内から溢れんばかりの愛を感じました。感じれば感じるほど幾らでも出てくるような、エネルギーとも言えるし気力とも言えるし、何の恐れも不安もない、穏やかだけど満ち足りた幸福感が私の中からみなぎって、私を突き抜けて、無限に永遠に広がっていくような感覚です。

何ということでしょう。私が今まで外に求めていたものは、コレでした。私の中にあったのです。いくら外に求めても、これでは満たされない筈です。自分が満足できるように自分を愛してくれる人は、自分しかいないのです。頭では分かっていたのですが、このヒーリング中に全身を通して深いところにまで、ガツーンと感じました。

その後、大勢の人の前で自分がライブをやっているイメージがやってきました。音楽は私が一番好きなことです。これを通して、私は多くの人に自分の愛を伝えていました。そして、それを受け取った人たちも、演奏を聞いてくれたり応援してくれることで、その人たちの愛を私に伝えてくれました。すべてイメージですが、そこではとても素晴らしい愛の交流がなされていました。「なんだ、私は自分からも、こんなに大勢の人からも、愛されているじゃないか」と思いました。

イメージは、しばらく続きました。私が我を忘れて、好きなことをやればやるほど、自分の愛が輝き、溢れ出ていくのです。そして、より多くの人と愛を交わし、循環させていけるのです。全ての人が愛の源泉であるのを感じ、その豊かな愛が広がっていくことに感動しました。「多くの人に、この感動を伝えたい」とも思いました。そして「もっと自分を愛する時間を作りなさい」というメッセージを受け取りました。

自分を愛する時間・・・。きっと、のんびりお風呂につかったり、ゆっくりと食事をしたり、ギターを弾いたり、読書したり、好きな事をして過ごす時間なのでしょう。私はいつも、自分のことは後回しにしてしまいますので、そんな時間を過ごすことを忘れていました。ヒーリングを終えてスッキリしたので、ゆっくりとお風呂に入ってみました。この時にはもう、喘息の発作も、不安も、ありませんでした。

面白いですね。ほんの1時間くらい前までは喘息と不安のせいか、体は硬直しまくりで、心の視野も狭くなっていたのに、愛を感じただけで、体はリラックスして緊張がとけ、心には穏やかな優しさが広がっています。短時間でこんなにも人は変わるのか、と驚くほどです。

このヒーリング以来、喘息の発作は出ていません。満たされる愛を求めて彷徨い続けるトラベラーの旅も、ようやく終わったようです。これからは、自分が愛であることを忘れたりしないように、たっぷりと自分を愛する時間を過ごしていきたいです。