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温泉に行って、露天風呂に入る。広い湯船にたった一人で大の字になって、体の緊張がどんどんほぐれていくのを感じる。

露天風呂といっても女性用なので目隠しの壁があり、景色らしい景色はないが、それでも青空と、ちょっとした植物が見える。自然の中で裸で大の字になって、自然との一体感を感じる。

心からも体からも、今の私にとって必要のないものが、出ていっているように感じる。

私はお風呂に入っている時、レイキ瞑想をしている。そんなやり方でいいのか分からないけれど、リラックスするので丁度いいのだ。

なので露天風呂に入りながら、レイキ瞑想をする。第4のマントラを心の中で唱え続ける。体中の力が抜けていく。それがとても、自然だと感じる。体中の力を抜いて、心の緊張も解きほぐして、頭は何も考えてない状態でグニャグニャになっているのを、とても自然だと感じる。

人の幸せとは、自然でいることなのだと感じる。自然でいられないから、悩んだり苦しんだり病気になったりするのだろう。

私たちは、海や山や植物と同じなのだ。自然の一部なのだ。なのにどうして、不自然に生きてしまうのであろう。どうして、自然にありままの自分でいる事が、こんなに難しくなってしまうのだろう。

重たい荷物は降ろせばいい。不必要なものは手放せばいい。なのに人は、何でも抱え込みがちだ。手放したくないという想いもあるだろうし、手放しちゃいけないという思い込みもあるのだろうが、抱え込んで、抱え込んで、息が詰まるような想いをしている人も多いと思う。

私はこの辺のことを、光合成と同じように感じている。呼吸をすると、酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出す。これだけ考えると、いずれは世の中が二酸化炭素だらけになって酸素がなくなっちゃうんじゃないの?と思うけれど、酸素を作り出す光合成では、二酸化炭素が必要なのだ。二酸化炭素がないと、酸素はできないらしい。私は勉強は苦手なので、あまり詳しくは知らないんだけれど、こうして循環させていくことで常にフレッシュな酸素が吸えるのであろう。

このような感じで、例えば悪感情(怒り・妬み・・・)なども、もともとは愛だったというか、愛があるから発生した感情だと思う。それで心が一杯になってしまう時もあるだろうけれど、もう必要がなければ、それを手放して循環させていくことで、悪感情もいずれは愛に戻していけるのだろう。そして手放して心にできたスペースに、新鮮な愛を入れていく。

レイキを取り入れてから、この循環作用みたいなのを良く感じる。レイキをすると、ちょっとずつ新鮮な愛が入ってきて、それがもっと入りたがって、自分にとって不必要なものがありますよ〜、もう手放して愛を入れるスペース作ってくださいよ〜みたいな気付きがくる。意識して気付いて手放せる時もあるし、無意識で、例えば熱を出して倒れたりして手放す時もある。

手放すと新鮮な愛が思う存分入ってくる。すると「私ってなんてラッキーなの」と思う円滑現象や、大きな気付きや感動が度々起こる。愛は愛を生み、それには喜びがオマケでついてくる。ラッキーというのは、自然の流れに乗っていることだと感じる。逆を言えば、自分がいつも新鮮な愛の姿でいる事が、自然だと言うことなのであろう。

海や山や植物や動物のように、私も自然の一部でありたいと思う。