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そういえば、アチューンメントを受けた後に好転反応っていうのが出る人もいる、と言われてた事を思い出す。

好転反応っていう文字だけ見ると、なんか良い事が起こるのかなぁと思うけど、実際は体の具合が悪くなったり、じんましんが出たりするらしい。

これは心身の機能がバランスを崩している時にレイキをやると起こるらしく、バランスよく本来の機能を取り戻すための過程らしい。好転反応が現れたら、水分を多めに摂って体から不要なエネルギーを排出すると良いそうだ。

私には出てないと思っていたけど、思い返せばファーストの時は「眠くてたまらない」で、セカンドの時は「腹痛&発熱」で、しっかり現れていた。まったく自覚がなかったよ。

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レイキの本を図書館から借りてきて、読み漁る。

本を読んでいると、アチューンメント中に光が見えたとか、涙が溢れて止まらないとか、感動的な事が書いてある。

私の場合は、そこまではなかった。何も感じていない訳じゃないんだけど、そんな大げさなものでもなかった。

毎回感じたのは、終った後に「あー、スッキリした!」

我ながら、クールというか、ドライというか・・・。

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お昼に春巻を揚げようと思ってフライパンの中に入れたら、その反動で中の油がはねて、手の甲の1/3くらいを火傷した。

痛かった。とりあえず水で冷やしたけど、手は真っ赤になっている。「これはヒドクなるかも」と思い、レイキをかける。1時間おき位に、気付いたらレイキをかけていた。

そしたら、夕方には跡形もなく治っちゃった。うわー、やっぱ効くんだなぁ。

台所仕事すると、指先を切ったり火傷をしたり、しょっちゅうやる。レイキをすると治りが早いので助かっている。ちなみに、たいしたことないからレイキはいいやと思ってやらないと、治りは普通かな。また逆に長い時間患っているものは、時間がかかったり、症状とは他のところにある病の根本原因へと矛先が向かうようだ。

そういえばカイロプラティックの先生も、似たような事を言っていた。転んだとか捻ったとかで、ついたばかりの体の歪みはすぐ治せるけれど、歪んだまま我慢して長い間生活していると、骨が歪んだ状態でロックされてしまって、どんなに力をいれてもロックがなかなか解除できず、治すのに時間がかかるらしい。

また腰が痛いと思って行っても、全然別のところに原因がある事もしばしば。根本原因を治療しても、今までの歪みのクセ(歩き方・座り方など姿勢のクセから、食事・睡眠時間などライフスタイルのクセ)が根本原因となっている事もあるので、それを正さなければ、治るのに時間がかかったり、また症状となって現れる場合もあるらしい。

カイロでは治療の後に「出来る事は全てやりました。あとはご自身で治す努力をして下さい」といった内容の事を言われる。私の場合は、塩分・酒をとるなとか、踵の高い靴を履くなとか、座る時に足を組むなとか、ちゃんと寝ろとか言われた。もちろん、こんな乱暴な言い方じゃないけど、自分でしか治せない部分のことで注意を受ける。

カイロとレイキは似ているなーと思う。けどレイキが凄いなぁと思うのは、オールマイティに使え、テクニックが簡単といったところだろうか。

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サードディグリーを受けに行く。ここでは最後のシンボルとマントラを習う。アチューンメントも受ける。

このシンボルとマントラは、熱い!私だけかもしれないけど、手や体が熱くなる。これを使うと、高次元の意識(ハイアーセルフ・高次の自分)と繋がり、導いてもらったり、加護を与えてくれたりするそうだ。そしてより自分らしくなっていくのであろう。今後の自分が楽しみである。

先生から、修了証書を渡される。嬉しー!習って良かった。ティーチャーズディグリーも、絶対ここで教わろうっと。

ゴミ箱が欲しかったので、帰りに渋谷のハンズに買いに行こうと思いたち、途中下車する。駅からハンズに向かって歩いている時に、何故かその手前のロフトに行きたくなったので、ハンズより先にロフトに行ったら、イメージ通りのゴミ箱があった。もちろん、それを買って帰ってきた。ナイス!私の直感!

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同じマンションに住んでいる階下の女性が、連日うるさい。彼氏とうまくいってないらしく、昼も夜もお構いなしで、どなっている。怒っている。泣いている。叫んでいる。暴れている。殴り合っているような音も聞こえる。

「どうして○×なの?」
「私がそんな女だと思ってるの?」

韓国人特有の日本語が、余計に耳に障る。窓を開けていつも騒いでいるので、こっちには丸聞こえ。「うるさい」と言うと彼氏がいる時は窓を閉めてくれるんだけど、騒いでいる本人に私の声は聞こえないらしく、窓を開けたまま話しているので内情が丸聞こえである。ついつい、そんな男とは別れたほうが幸せなんじゃないかとか、そんなに詰め寄ったら帰ってくるものも帰ってこなくなるよとか、余計なお節介も焼いてしまう。

彼氏が出て行くとどこかに電話をかけているようで、今度は韓国語でずーっと怒っている。何言っているか分からない分、これまた気に障る。

面白がっていられるうちはいいんだけど、こっちも自宅で仕事していたり、のんびりしている時にうるさいので、レイキをかける。

調和をもたらす第2のシンボルを中心に、レイキをかける。別れるでも仲直りするでもなんでもいいから、階下の女性と彼氏との関係が改善されますように、と願う。

そしたらねー、途端に静かになった。これは偶然かもしれないけれど、どうやら仲直りをしたらしく、今度は別の声でうるさい事も(笑)でもケンカしている声を聞くよりいいかな。早く気付いて、レイキしてあげれば良かった。

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「アイキやって」とせがむ人がいる。間違えているのかと思って、アイキじゃないよレイキだよって言うと、「ななちゃんの愛の気だから、アイキでしょ」だって。

先生に笑い話として話したら「それはレイキの本質を突いてますよ」と言われた。

レイキを人にやってあげる時は、ただ手をおいているだけ。エネルギーの部分では何もしていない。レイキが勝手にやってくれている。自分の気が吸い取られているわけでも、自分の気を送っているわけでもない。やっている時に「良くなりますように」といった事は思うけれどね。

けれどやってあげるのも愛だし、その人が良くなるように願うのも愛だけど、レイキのエネルギーも愛だと思う。その人を、より自然な状態へと導いていくようだ。

自然な状態とは、愛がとめどもなく溢れて循環している状態だと思う。ああ、私はなんて不自然に生活してきたんだろうと気付く。人間関係はもちろん、動植物に対しても、お金も、生き方も、これからは愛がとめどもなく溢れて循環している現実を、創り出していこうと思う。

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昨日、意識しているかどうかは別として、その人が望んでいる、必要としている事の現れが現実なので・・・、とサクっと書いた。

こんな現実望んでないとか、望んでいても現実にならないじゃんと思う事もある。私にもいっぱいある。「なんで私だけがこんな目に・・・」とか、「どうして思うとおりにいかないんだろう」とか。けれど、それは意識できるところの話で、その場合は心の奥深くや無意識が現実として現れていたりする。また日頃意識せず口にしている言葉が、現実となっていたりもする。その辺の仕組みが分かってくると、「あら、私ったら、こんな現実つくっちゃって恥ずかしいわ」なんて思うことも。

例えば喘息。私は中学生の時に突然、喘息になった。40度の熱が1ヶ月近く下がらず、呼吸も苦しく大変だった。その後も10年ほどは、たまに喘息の発作が出て、ひどい時は入院した。

こんな現実望んでない(喘息になりたくない)
望んでいても現実にならない(喘息が治る事を望んでるのに治らない)
意識できるところでは、こんな感じ。

喘息の発作は、息が出来なくて本当に苦しい。呼吸が出来なくて死ぬんじゃないかと思う。なんで喘息なんかになったんだろう。タバコが悪いんだろうか?(中学校から吸ってたからねー)都会の空気が悪いんだろうか?

これは今だから分かるんだけど、喘息になった原因は、多分3つ。

・自分の好きなように生きたい
・誰にも邪魔されない静かなところにいたい
・愛されたい

え?これが原因なの?と思うかもしれないけど、ネコを飼っていたり、じゅうたんが敷いてあったり、喘息になる原因は他にもあったけど、この無意識の望みを叶えるのに、喘息は最適だったのだろうと思う。

喘息であれば、学校は休めて好きな事ができるし、(療養のため家を出て婆ちゃんちで暮らしたので)静かなところでゆっくりできたし、心配してもらえる(=愛してもらえる)し、喘息になった事で一気にその3つの望みは叶った。無意識に望んでいる事が、一気に現実となったのである。

ところが望みが叶ったにも関わらず、喘息は治らなかった。それは、何か嫌な事や直面したくない事があった時に、喘息は便利だったからだろう。例えば両親がケンカしている時に、喘息の発作が出ればその現実から逃げられるというか、発作で苦しいので嫌な事を見る余裕がなくなって見なくて済むので、苦しいんだけど自分が逃げ込む場所として、または自分を守る場所として、心の奥深くでは手放したくなかったようだ。割りと定期的に発作を出しては苦しんでいた。

大人になってからは、酒を飲みすぎると発作が出ていた。でも酒はやめず、発作を押さえる吸入器を携帯して飲んでいた。この頃になると、何かから逃れる為というよりも、「誰も自分を愛してくれない」という不安や不満が形となっていたようだ。

けど付き合った人もたくさん(!?)いたし、きっと彼らから愛されていたと思う。愛してくれる人はたくさんいたのに、なーんか愛されてないような満たされない感じは、いつもあった。それに気付いて、多分愛を外に求めなくなった時から、自分で自分を愛せるようになって、人からどう思われてもいいから我慢せず好きなように生きようと思った時から、きっと喘息を持っている必要がなくなってきたんだと思う。

去年の暮れに都心に引っ越して、1日2箱のタバコを吸い、ほぼ毎日晩酌していても、引っ越してから今までは喘息の発作が出ていないから、あんまりキレイじゃない空気もタバコも酒も、喘息の原因ではなかったようだ。

喘息が必ずこうだという訳でなく、たまたま私の場合はこういう形で現実となってしまったという例である。当時はそんなこと全然分からず、いつの間にか発作が出なくなってきたんだけど、今振り返ってみてやっと分かった。私は自分からも人からも愛されたくて喘息になり、自分からも人からも愛されているじゃないかと分かった時に、ようやく喘息を手放せるようになったんだ。

こんな現実望んでないとか、望んでいても現実にならない事がもしあったら、心の中をもう一度、よーく見直してみて見るといいかも?しれない。意識しているかどうかは別として、その人が望んでいる、必要としている事の現れが、現実だと思う。私の中にはまだまだ、喘息に似た色んなものがありそうだ。

レイキはこういった深い部分に穏やかに光をあてていくようである。無意識にあるものも光が当って見えるように(意識できるように)なり、気付きのスピードが速くなるようだ。もちろん病気だけでなく、色んなことに。

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「レイキやって」と、せがまれる事が多くなった。やってあげるのは自分もスッキリするからいいんだけど、私がやってあげるより自分でやれるようになった方が、多分効果的なんだろうなぁと思う。

何かしら気持ちいいから「やって」とせがむんだろうけど、どうやらその人はレイキヒーリングを受けて、私のような劇的な変化(そう見えたらしい。自分ではあんまり変わったという気はしないんだけど・・・)が自分に訪れるのを望んでいるようだった。

けれど私がヒーリングをしてあげた人で、劇的に変化した人はまだいない。継続して行えばいつかは変化が訪れるかもしれないけれど、レイキは穏やかなので、きっとそれなりの時間がかかるのではないだろうか。

私の場合は、アチューンメント+セルフヒーリングで、ただヒーリングを受けているだけよりも、より多くの不必要なものが取り除かれたように思う。余分なものがなくなると、物事が整理整頓されて、明確に見えてくる。心の中も同じように、自分が何を欲しがっているのか、必要としているのか、欲しがっているくせに奥底では要らないと思っているのかなどが、今まで以上に見えてきた。

明確になればなるほど、レイキによるエネルギー循環作用も加わって、きっと現実化が早いのである。それが体・心・魂など広い範囲にわたって現れたので、劇的な変化に見えたのだろう。

けど何の保証もできない。アチューンメントを受けても、レイキが自分でできるようになっても、何も変わらないかもしれない。意識しているかどうかは別として、その人が望んでいる、必要としている事の現れが現実なので、変わるかどうかは、その人次第なのだと思う。

そうこう考えているうちに、レイキを教えられるようになろう、ティーチャーズディグリーも受けようと、決めた。

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ファーストディグリーを受けてから、今日が21日目である。

レイキを発見(!?)した臼井ミカオ氏が、鞍馬山にこもって断食をし、21日目に靈氣療法を得たいわれるのに引っ掛けてか、この期間は、浄化の期間になると西洋レイキでは言われてる。私の中の毒素は、果たして出て行ったのだろうか?目に見えればいいのだが・・・。

不要品を山のように捨てたり、倒れたり、5万パチンコですったりして、実際の持ち物だけでなく、体の中の毒素もそうだけど、心の中にある不要品(妙なこだわりとか固定観念)も、かなり排出したみたい。と言っても、まだまだ持っていると思うけどね。

逆に、持っていたほうが良いと思われるものは、しっかりと、くっきりとしてきた。自信がついたと言えばいいのかなぁ。「こうなんだけど・・・」とナヨナヨしてたのが、「私はこうなんだ」ってハッキリしてきた。またそれを素直に受けとめ、「こうなんだ」って思っていても周りの目とか一般常識を気にして躊躇していたものが、気にせず実践できるようになった。

より自分らしく、よりシンプルになっている。理想は「私は全てを持っている。だから、何も持っていないんだ」の境地。

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全快したので、厄払いもかねて朝から晩までパチンコをやり、5万負けて帰ってくる。悔しいけど、ここまで負ければスカっとする。ちなみにこの日は、レイキをやらないでパチンコに行った。倒れてから今日まで、セルフヒーリングをやっていない。レイキとパチンコが関係あるのかどうかは不明だけど、個人的趣味で研究してみたい気もする。

今日パチンコに負けたのは、お金というものを、もう一度考え直すきっかけとなった。お金のやり取りはエネルギーのやり取りだと、頭では分かっていたけど、私の理解はまだ足りなかったようだ。

いかに自分が、お金について勉強をしていないか、に気付く。数学は中学校2年生まで習ったけれど、通信教育で簿記も勉強したけど、数字以外でのお金の教育は受けた事がない。数字以外に、お金には絶対なんかがあると思う。きっとそれはエネルギーだと思うんだけど、私にはまだそれを、形にして表現することができない。うぁぁぁぁ。でも、ボンヤリと、何かに気付いた。

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