カテゴリ:
昨日、意識しているかどうかは別として、その人が望んでいる、必要としている事の現れが現実なので・・・、とサクっと書いた。

こんな現実望んでないとか、望んでいても現実にならないじゃんと思う事もある。私にもいっぱいある。「なんで私だけがこんな目に・・・」とか、「どうして思うとおりにいかないんだろう」とか。けれど、それは意識できるところの話で、その場合は心の奥深くや無意識が現実として現れていたりする。また日頃意識せず口にしている言葉が、現実となっていたりもする。その辺の仕組みが分かってくると、「あら、私ったら、こんな現実つくっちゃって恥ずかしいわ」なんて思うことも。

例えば喘息。私は中学生の時に突然、喘息になった。40度の熱が1ヶ月近く下がらず、呼吸も苦しく大変だった。その後も10年ほどは、たまに喘息の発作が出て、ひどい時は入院した。

こんな現実望んでない(喘息になりたくない)
望んでいても現実にならない(喘息が治る事を望んでるのに治らない)
意識できるところでは、こんな感じ。

喘息の発作は、息が出来なくて本当に苦しい。呼吸が出来なくて死ぬんじゃないかと思う。なんで喘息なんかになったんだろう。タバコが悪いんだろうか?(中学校から吸ってたからねー)都会の空気が悪いんだろうか?

これは今だから分かるんだけど、喘息になった原因は、多分3つ。

・自分の好きなように生きたい
・誰にも邪魔されない静かなところにいたい
・愛されたい

え?これが原因なの?と思うかもしれないけど、ネコを飼っていたり、じゅうたんが敷いてあったり、喘息になる原因は他にもあったけど、この無意識の望みを叶えるのに、喘息は最適だったのだろうと思う。

喘息であれば、学校は休めて好きな事ができるし、(療養のため家を出て婆ちゃんちで暮らしたので)静かなところでゆっくりできたし、心配してもらえる(=愛してもらえる)し、喘息になった事で一気にその3つの望みは叶った。無意識に望んでいる事が、一気に現実となったのである。

ところが望みが叶ったにも関わらず、喘息は治らなかった。それは、何か嫌な事や直面したくない事があった時に、喘息は便利だったからだろう。例えば両親がケンカしている時に、喘息の発作が出ればその現実から逃げられるというか、発作で苦しいので嫌な事を見る余裕がなくなって見なくて済むので、苦しいんだけど自分が逃げ込む場所として、または自分を守る場所として、心の奥深くでは手放したくなかったようだ。割りと定期的に発作を出しては苦しんでいた。

大人になってからは、酒を飲みすぎると発作が出ていた。でも酒はやめず、発作を押さえる吸入器を携帯して飲んでいた。この頃になると、何かから逃れる為というよりも、「誰も自分を愛してくれない」という不安や不満が形となっていたようだ。

けど付き合った人もたくさん(!?)いたし、きっと彼らから愛されていたと思う。愛してくれる人はたくさんいたのに、なーんか愛されてないような満たされない感じは、いつもあった。それに気付いて、多分愛を外に求めなくなった時から、自分で自分を愛せるようになって、人からどう思われてもいいから我慢せず好きなように生きようと思った時から、きっと喘息を持っている必要がなくなってきたんだと思う。

去年の暮れに都心に引っ越して、1日2箱のタバコを吸い、ほぼ毎日晩酌していても、引っ越してから今までは喘息の発作が出ていないから、あんまりキレイじゃない空気もタバコも酒も、喘息の原因ではなかったようだ。

喘息が必ずこうだという訳でなく、たまたま私の場合はこういう形で現実となってしまったという例である。当時はそんなこと全然分からず、いつの間にか発作が出なくなってきたんだけど、今振り返ってみてやっと分かった。私は自分からも人からも愛されたくて喘息になり、自分からも人からも愛されているじゃないかと分かった時に、ようやく喘息を手放せるようになったんだ。

こんな現実望んでないとか、望んでいても現実にならない事がもしあったら、心の中をもう一度、よーく見直してみて見るといいかも?しれない。意識しているかどうかは別として、その人が望んでいる、必要としている事の現れが、現実だと思う。私の中にはまだまだ、喘息に似た色んなものがありそうだ。

レイキはこういった深い部分に穏やかに光をあてていくようである。無意識にあるものも光が当って見えるように(意識できるように)なり、気付きのスピードが速くなるようだ。もちろん病気だけでなく、色んなことに。

カテゴリ:
「レイキやって」と、せがまれる事が多くなった。やってあげるのは自分もスッキリするからいいんだけど、私がやってあげるより自分でやれるようになった方が、多分効果的なんだろうなぁと思う。

何かしら気持ちいいから「やって」とせがむんだろうけど、どうやらその人はレイキヒーリングを受けて、私のような劇的な変化(そう見えたらしい。自分ではあんまり変わったという気はしないんだけど・・・)が自分に訪れるのを望んでいるようだった。

けれど私がヒーリングをしてあげた人で、劇的に変化した人はまだいない。継続して行えばいつかは変化が訪れるかもしれないけれど、レイキは穏やかなので、きっとそれなりの時間がかかるのではないだろうか。

私の場合は、アチューンメント+セルフヒーリングで、ただヒーリングを受けているだけよりも、より多くの不必要なものが取り除かれたように思う。余分なものがなくなると、物事が整理整頓されて、明確に見えてくる。心の中も同じように、自分が何を欲しがっているのか、必要としているのか、欲しがっているくせに奥底では要らないと思っているのかなどが、今まで以上に見えてきた。

明確になればなるほど、レイキによるエネルギー循環作用も加わって、きっと現実化が早いのである。それが体・心・魂など広い範囲にわたって現れたので、劇的な変化に見えたのだろう。

けど何の保証もできない。アチューンメントを受けても、レイキが自分でできるようになっても、何も変わらないかもしれない。意識しているかどうかは別として、その人が望んでいる、必要としている事の現れが現実なので、変わるかどうかは、その人次第なのだと思う。

そうこう考えているうちに、レイキを教えられるようになろう、ティーチャーズディグリーも受けようと、決めた。

カテゴリ:
ファーストディグリーを受けてから、今日が21日目である。

レイキを発見(!?)した臼井ミカオ氏が、鞍馬山にこもって断食をし、21日目に靈氣療法を得たいわれるのに引っ掛けてか、この期間は、浄化の期間になると西洋レイキでは言われてる。私の中の毒素は、果たして出て行ったのだろうか?目に見えればいいのだが・・・。

不要品を山のように捨てたり、倒れたり、5万パチンコですったりして、実際の持ち物だけでなく、体の中の毒素もそうだけど、心の中にある不要品(妙なこだわりとか固定観念)も、かなり排出したみたい。と言っても、まだまだ持っていると思うけどね。

逆に、持っていたほうが良いと思われるものは、しっかりと、くっきりとしてきた。自信がついたと言えばいいのかなぁ。「こうなんだけど・・・」とナヨナヨしてたのが、「私はこうなんだ」ってハッキリしてきた。またそれを素直に受けとめ、「こうなんだ」って思っていても周りの目とか一般常識を気にして躊躇していたものが、気にせず実践できるようになった。

より自分らしく、よりシンプルになっている。理想は「私は全てを持っている。だから、何も持っていないんだ」の境地。

カテゴリ:
全快したので、厄払いもかねて朝から晩までパチンコをやり、5万負けて帰ってくる。悔しいけど、ここまで負ければスカっとする。ちなみにこの日は、レイキをやらないでパチンコに行った。倒れてから今日まで、セルフヒーリングをやっていない。レイキとパチンコが関係あるのかどうかは不明だけど、個人的趣味で研究してみたい気もする。

今日パチンコに負けたのは、お金というものを、もう一度考え直すきっかけとなった。お金のやり取りはエネルギーのやり取りだと、頭では分かっていたけど、私の理解はまだ足りなかったようだ。

いかに自分が、お金について勉強をしていないか、に気付く。数学は中学校2年生まで習ったけれど、通信教育で簿記も勉強したけど、数字以外でのお金の教育は受けた事がない。数字以外に、お金には絶対なんかがあると思う。きっとそれはエネルギーだと思うんだけど、私にはまだそれを、形にして表現することができない。うぁぁぁぁ。でも、ボンヤリと、何かに気付いた。

カテゴリ:
今日の夕方になって、ようやく熱が下がり痛みも治まってくる。自然治癒能力バンザイ!

本当は今日はサードディグリーを受けに行く予定だったのだが、事情を話して、来週に延期してもらう。

それにしても、腹痛や発熱の原因は一体何なんだろうか?医者は「食あたり」の路線で考えていたみたいだけど、あたるような物は食べてないし、下痢もしていない。

後で先生と話して、セカンドディグリーで教わった1つのシンボルとマントラが強力過ぎたのだろうという結論になった。私はあんまり意識せずに、面白がって自分にもガンガン使っていたのだが、結果的に倒れるほど強いエネルギーを浴びてしまったらしい。そういえば、強いと感じる場合は使わないほうが良いと言われていたのを思い出す。あんまりそうは感じなかったけど、強かったのかな。

けれどここで倒れたのを境に、私は大きく変わったみたい。思考回路のパターンとか、性格が変わってきたと言えばいいのかな。以前だったらクヨクヨしちゃうような事があっても、あまり気にならなくなり(小さい事を気にしたり、人に振り回されているのがバカらしくなった)、自分の中に自分という大きな柱が、バーンと立った。

カテゴリ:
朝、目が覚めて、なんとなく胃が痛い。「胃が痛いなんて滅多にないんだけどなぁ。お腹空いているのかな」と思って、もう一度寝る。

次に目覚めた時、それは激痛となった。こんなに痛いのは初めてだ。布団で横になったまま起きられない。あんまり痛くて声が出る。

「痛いー。死ぬー」を繰り返す。騒いでも全然良くならない。

助けを求めて、車で緊急病院に行く。病院は嫌いだから行きたくないんだけど、自分の手におえる痛みじゃなかった。体を90度に曲げてお腹をかばって、何かにつかまらないと歩けない。

けど医者に行っても、痛みの原因はなんだか分からなかった。なのに薬をくれた。とりあえず薬を飲むかと思い、便所に行って洗面所の水で薬を飲み、ロビーのソファで休んだ。痛くて動けないからタクシーで帰りたかったのだけど、タクシーが通るところじゃないし、どうやってタクシーを呼んでいいのか分からなかったので途方にくれた。ソファで、薬が効いて痛みがなくなるように祈った。

しばらくしたら痛みが軽くなったので、手でお腹をおさえながら、なんとか歩いて帰ってきた。軽く食事をして、ひと眠りしたら、症状が悪化した。

今度は腹痛&発熱のダブルパンチである。熱は40℃まであがる。薬を飲んで、どうして悪化するんだ?

「痛いー。死ぬー」を、1人虚しく繰り返す。痛すぎて、黙っていられなくて騒いでいた。レイキを・・・、と思ったけれど、痛くてそれどころじゃない。でも、自然に痛い箇所(お腹)に、手は当てていた。きっと人間が本能で知っている事を、さらに効率よくしたのがレイキなんだと思った。

カテゴリ:
遠隔ヒーリングで距離は関係ない事を確認している最中なので、今度は時間も関係ない事を試してみる。

時間が関係ない事は、精神世界やチャネリング、瞑想などに傾倒していた時から、ある程度は理解してきたつもりだけど、レイキではどうなるのかな。

今回は、あまり昔過ぎてもなんなので、ここ数年の間で「あいつには悪い事しちゃったな」と思え、なおかつ今は連絡先が分らなくて直接謝る事のできない人との関係にレイキを当てる。

レイキは体に手を当てるだけでなく、そういった人間関係や、建物全体とか、広くは地球や宇宙にも使える。何にでも使えて便利である。

上手く完結できなかった人間関係に、レイキを当てていく。色んな想いが湧いてくる。今考えれば、もっといい付き合いができたのになぁと思うんだけど、後の祭り・・・ではないんだな。当時の私は、別にケンカしたり、その人と争おうと思っていた訳ではない。ただ、必死だっただけなんだ。

だから、当時の私にもレイキを当てていく。当時の相手にもレイキを当てていく。スッと、何かが抜けて、「こちらこそゴメンね」と言われたような気がした。胸のつかえが、少しとれた。

カテゴリ:
レイキって徐霊でしょ?っていう人がいた。うー、どこでどうやったら、そういう話しになるんだろう。霊気という漢字だけで、そう捉えちゃったのだろうか?

「多分それは誤解していると思うんで、レイキをやってあげますから、どんなもんか感じてみて下さい」と、フルセッションをしてあげる。やり始めてすぐ、その人はグーグー寝てしまった。ところどころで、エネルギーがグーッと入っていくのを感じる。

最近は人にやってあげてても、自分は眠くない。人にやってあげると、自分にもエネルギーが流れていくというのが、ようやく分かってきた。人をヒーリングしていても、まるで自分がヒーリングされたかのような、レイキからしてみると、どうせなら二人まとめてやってやろうって感じなのかな?人にやってあげる時は、自分がエネルギーのパイプ(通り道)になるだけなんだけど、エネルギーが流れて循環するからなのか、元気いっぱいになる。

ヒーリングが終わったので、相手を起こす。感想を聞いてみたら、「手が温かくて気持ちいいのは分るんだけど」でした。すぐに眠っちゃったからエネルギーがどうのこうのまで感じなかったのか、もともと感じにくい人なのか、懐疑的に思っていたから感じようとしなかったのかは分りませんが、「どんな状態であれ必要なエネルギーは流れていってますよ」と伝える。

こういうのもありかな、と思う。相手がレイキを疑る目で見ていても、グーグー寝ていても、私はその人にエネルギーが流れていったのを感じた。手を置く位置によって、何も感じない場所と、エネルギーがグイグイ入っていく場所があるのは、その人が意識しているかどうかは関係なく、必要としているエネルギーが、それなりの場所から流れていくのだろう。レイキの自動調整は凄い。私は本当に、ただ手を置いているだけである。

またエネルギーを感じようが感じまいが、手が温かくて気持ちいい、それだけでもイイじゃんって思った。人と人が触れあうというのは、それだけでも大きなヒーリングになると思う。

ちょっと肩が凝っているというから何気なく揉んであげたり、信号を渡っている時に赤になりそうだからと手をとって一緒に走るだけで、目をウルウルさせてしまう人がいる。一体どうしたの?と聞くと、「人に触れてもらうのは何年振りだろう」なんて言って、目を潤ませている。その気持ちは、とても分かる。人に触れてもらうと、それだけでスーッと何かが溶けていくような、ほっとするような、安心するような。長い期間人に触れてもらってないと、普段はそんなこと気付かないんだけど、触れてもらった時に、何か、くるものがあるんだよね。

何かで読んだけど、赤ちゃんは人に触れてもらわないと、何日かで死んでしまうそうだ。それだけ、人に触れてもらうというのは、大切な事なんだろう。

手が温かくて気持ちいい。それだけでも感じてくれれば、十分である。

カテゴリ:
セカンドディグリー受講以降は、シンボルとマントラが加わってレイキのパワーがアップするのか、やる時間を半分にまで落とせる。フルセッションするのに、今まで1時間かかっていたのが、30分で済むようになる。

時間を減らすと効きめも減るような気がするけど、そうではなく、逆に効率良くパワーアップしたようだ。単純に慣れてきただけなのかもしれないけれど、セルフヒーリングしている時に、今まではただ手をおいているだけだったのが、自分にやる時も掃除機でグワーと掌を吸いとられるように感じる場所が出てきた。

ある時は、お腹のあたりに何か、シコリというか固い物じゃないんだけどモヤモヤとしたわだかまりみたいのがあって、それがスーッと溶けていくような、蒸発していくような気がした。ほっと力が抜けていくような感じだった。

ファーストディグリーの時と比較すると、レイキは明らかに変わった。今まではボーっとしていたのが、しっかりと覚醒した状態になったようだ。時間は短くて済むし、効率良くなるし、ステップアップして良かった。

カテゴリ:
長年アトピーに悩まされている友達がいるので、これはレイキで遠隔ヒ−リングをしていけば、いずれは良くなるのではないか?と思いつき、本人の承諾を受けてやってみる。

その人とは付き合いも長く信頼関係もバッチリ。以前アーユルヴェータのオイルマッサージなどもやってあげ、摂取する食事や水の事などもよく話すので、レイキの事を詳しく説明しなくても体で感じてくれるだろうと判断し「多分アトピーにもいいと思うから、レイキってので遠隔ヒ−リングをやってみるよ」と話した。

今後レイキがどのようにアトピーに効いていくのか、遠隔でも本当にヒーリングができるのかどうか、楽しみである。

カテゴリ:
去年の年末に引越した時に、かなりの量の荷物を処分した。2Kから1Kへと、居住スペースを縮小したので、処分しなければ収まり切らなかったのである。かなり潔く物を捨てた。

にも関わらず、部屋にいると「まだまだ自分にとって要らない物があるな」と感じ、それが我慢出来なくなって、片っ端から所有物を見直し、要らない物を捨てていく。クローゼットの奥の方に入っているあんまり使わない物や、クレジットカードや生命保険の契約書類や、辞めたパソコン教室関係の書類や、CDやビデオ、現金や貯金や借金にしても、自分が現在何を持っているのかを、きちんと把握していないのが嫌でたまらない。あとから思うに、物事が明確でないのが嫌になったのであろう。

なのですべてを見直し、不必要と感じる物はだいたい捨てた。ゴミ袋10袋くらいは捨てただろうか。引っ越しの時にあれだけ(多分、たたみ6畳分くらいの荷物)処分したのに、まだこんなに要らない物を持っていたのかと、改めて驚く。

物に対する判断基準も、少し変わったようだ。多分今までだったら「まだまだ使えるだろう」と判断して使っていた物が、「もう十分働いて疲れたから、解放してくれ」と言っているような気がする。そう感じた物は「お疲れさん」と声を掛けて処分した。また使えるんだけど今の部屋に合わなくて居心地悪そうにしているのも、「合わなくてごめんなー」と買い替えた。

今まであんまり意識した事なかったけれど、ブルー基調の部屋がなんか淋しく暗い感じがしたので、本当にいろんな物を捨てて、買い替えた。この「お部屋改造計画」は、この日から始まって、2〜3週間くらい時間をかけて、チョコチョコ捨てたり場所を移動したり買い物したりして一段落した。

面白いのが、例えば「カーテンをもっと明るい色にしたいな。こんな色のカーテンがいいな」とイメージすると、だいたいその日に、少なくても3日以内に、イメージ通りの物と出会える。それがあまりにも続くので、私って何てツイてるんだろうと思ったけど、きっとレイキの効果の一つなんだろう。

欲しい物がすっと手に入る。物の波動を感じられるようになる。直感が鋭くなる。この辺りが、レイキの効果に感じられる。

この「お部屋改造計画」を見ていた人は、随分と驚いていたようだ。とめどもなく出てくる私のパワーやガッツと、趣味志向の変化に。

カテゴリ:
セカンドディグリーは、ある意味レイキのハイライトの部分である。先生も、レッスンの中で一番面白いしボリュームがあると言ってた。

アチューンメントを受けながら、シンボルとマントラを教えてもらう。シンボルとマントラは1セットになっていて、セカンドでは3つ、サードでは1つ教えてもらう。教えてもらった順番に、第1シンボル・マントラ、第2シンボル・マントラと、ここでは呼ぶ。

それらを使った時間・空間を越えたヒーリング方法を教えてもらう。「えー、こんな簡単でいいのー?」というのが、正直な感想。実際にそこで、ある人に対して遠隔ヒーリングをやってみたら、あの掌が掃除機でグワーと吸われているいつもの感覚が!相手と離れていても、あんまり関係ないようである。

距離が離れている人(なかなか会えない友達とか)に対して、「どうしてるかな?元気でやってるかな?うまくやってるといいな」なんて思うことも、ある意味遠隔ヒーリングなのかもしれないなぁと、ぼんやり思う。

何回目の時だか忘れたけど、アチューンメント中から足首が重いような、だるいような、スッキリしなくて足首をゴリゴリ回しても、やっぱりスッキリしない。それを先生に告げると「足首や膝がそういう感覚の時は、自分の根本の部分が大きく変わっていってる時が多いんですよ」と言われる。なるほど。

またアチューンメント中に、少し間をあけて先生と掌を向かい合わせるような格好(目を瞑っているので見えていないんだけど、きっとそんな格好)をするんだけど、この時はお互いのエネルギーをキャッチボールをしているような感じがして面白かった。

セカンド・ディグリーを習ったことによって、レイキが何倍も面白くなってきた。色んな事が出来るようになるので、ファースト・ディグリーでレイキを学ぶのを終わらせてしまったら、非常に勿体無い。その100倍くらい、色んな事ができるようだ。

今日も3時間弱くらいで、レッスンは終了。次は一体、どんな事を学ぶのだろう?

このページのトップヘ

見出し画像
×